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東京高等裁判所 昭和38年(ネ)1896号 判決 1965年11月13日

控訴人 川畑喜積

被控訴人 国

訴訟代理人 岩佐善己 外二名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人は控訴人に対し金七二万四、八五一円およびうち金七一万九、二九六円につき昭和三四年四月七日から、うち金一、一八〇円につき同年同月九日から、うち金四、三七五円につき同年五月一日からそれぞれ支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

この判決は、仮に執行することができる。

事  実 <省略>

理由

一、控訴人主張の日時、場所において、被控訴人の運転する乗用自動車が訴外渡辺順康に接触し、そのため同訴外人が転倒し、脳損傷等により死亡したことは、当事者間に争いがない。

よつて、右の事故の発生が被控訴人の過失によるものであるか否かについて判断する。成立に争いのない甲第一号証の一ないし四、同第二号証の三、同第四号証の一ないし三、同第五号証の二ならびに原審証人官野清吉、同加藤一男の各証言および原審における被控訴人本人尋問の結果を総合すると、次の事実が認められる。

被控訴人は、昭和三三年一一月二三日午後七時頃、訴外須田とみ所有の小型乗用自動四輪車に訴外加藤一男ら五人を同乗させて運転し、横浜市中区海岸通り大棧橋構内南東側岸壁を棧橋先端から同入口に向つて時速約二〇キロで進行したが、同棧橋A号岸壁にさしかかつた際には、進行方向左手の岸壁には白馬山丸が繋留され、訴外宇徳運輸株式会社の作業員により同船の荷積作業が行われようとしていた。その作業員の一人である渡辺順康は、船内からの合図により、同船向い側の上屋前に置かれた積荷の傍から船内に赴くため中間道路を横断しようとしたところ、本件自動車に接触したものであるが、被控訴人は約一九メートル手前で同人を認識しながら、警笛を吹鳴して同人に警戒を与えることなく、同人の動静を充分注意せずに、速度を緩めず、漫然進行したため、約四・五メートル手前で急ブレーキをかけたが間に合わず、同人に自動車前部中央辺を接触させた結果、同人は転倒し、脳損傷等の傷害を受け、翌二四日大仁病院において死亡したものである。

被控訴人は、右の自動車運行の際、被控訴人は前方を注視し、岸壁道路を渡辺順康が半分以上横断していたので、その後方を充分通過しうるものと認めて進行したところ、突然同人が後戻りしたため、急ブレーキをかけたが間に合わなかつたものであると主張するが、原審における被控訴人本人尋問の結果中右の趣旨に添う部分および成立に争いのない甲第二号証の一、二中右の趣旨に添う記載は、前記各証拠に照して措信しがたく、他に右事実を認めるに足る証拠はない。

以上認定の事実によれば、本件事故は被控訴人の過失に起因するものというべきであつて、被控訴人は右事故により渡辺順康がこうむつた損害を賠償する義務がある。

二、次に訴外渡辺順康および同渡辺すいの被控訴人に対する損害賠償請求権について判断する。

成立に争いのない甲第八号証の一、同第九号証の一、二、三、および公文書であるから真正に成立したものと推定される甲第一〇号証ならびに当審証人渡辺すいの証言(第二回)によれば、渡辺順康は、字徳運輸株式会社に常傭沖仲仕として約十年勤務し、死亡当時一ヶ月平均金二七、五六六円の給与を得ていたものであること、右訴外会社においては、停年は五五才とされ、本人が身体健全で、希望する場合は五八才迄臨時嘱託として勤務が可能であり、渡辺順康は死亡当時三七才であつたから、少なくとも死亡当時からなお一八年(厚生省発表の第九回生命表によれば三七才の男子の平均余命は三一・九六年である)稼働可能であつたことおよび同人の一ヶ月の生活費は金七、五〇〇円程度であつたことが認められる。しかして、右稼働期間中における順康の収入から右の生活費をさし引いた金額が、順康の喪失した得べかりし利益というべきであるが(同人の収入につき、控訴人主張のような一日平均賃金は認められないので、前認定の一ヶ月平均賃金をもつて計算すべきである。)、これを一時に請求する場合には年五分の中間利息をさし引くのが相当であるから、これをホフマン式計算法により算定すれば、金二二八万一、一八七円となり、順康は右同額の損害をこうむつたものというべきである。さらに、成立に争いのない甲第七号証の一の三、同号証の二の一、二によれば、順康は、本件事故により昭和三三年一一月二三日および二四日の両日大仁病院において診療、看護を受け、看護費として金一、一八〇円、診療費として金四、三七五円を要したことが認められる。

よつて、前記得べからし利益の喪失額に右費用を加えた金二二八万六、七四二円につき順康は被控訴人に対し損害賠償請求権を有するに至つたものと認められる。以上の認定を左右するに足る証拠はない。

被控訴人は、本件事故は、いつたん本件自動車の前を通過した順康が突然後退するという行動に出たことによるもので、順康にも重大な過失があつたから、損害賠償額の認定上斟酌されるべきであると主張するが、右事実の認められないことは前記のとおりであるから、被控訴人の右の抗弁は採用しない。

右のとおりであるところ、順康の相続人がその妻渡辺すいとその子二人であることは当事者間に争いがないから、妻すいは、その相続分に応じ、順妻の被控訴人に対する前記損害賠償請求権の三分の一である金七六万二、二四七円の損害賠償請求権を相続により取得したものというべきである。

三、被控訴人は、順康の相続人の一人であり、他の相続人の代理人である渡辺すいと被控訴人の間に昭和三四年一月七日示談が成立し、順康の相続人らは被控訴人に対する損害賠償請求権のうち自動車損害賠償保険金(金三〇万円)を越える部分は放棄したもので、昭和三四年五月二七日被控訴人はすいに対し右の金三〇万円を支払つたから、被控訴人の損害賠償債務はすべて消滅したと主張するので判断する。成立に争いのない甲第六号証および乙第一号証によれば、昭和三四年一月七日すいと被控訴人との間に示談書名義の書面が作成され、右書面には「渡辺順康氏死亡に対する償金は自動車損害賠償保険金にて支払う事」とし、その他本件事故に関しては双方一切の異議、要求は申立てない趣旨の記載がなされており、同年五月二七日すいは被控訴人から示談金として金三〇万円を受領したことが認められる。しかしながら、右甲第六号証、原審および当審(第一、二回)証人渡辺すい、当審証人大垣徳三の各証言を総合すると、昭和三三年一一月二四日順康の通夜が営まれた夜、被控訴人はすい方を弔問し、すい、訴外大垣徳三、順康の兄らと被控訴人との間で、本件事故による損害賠償について話合が行なわれたが、その際、被控訴人は、目下大学病院の研究生であるため収入が少なく、損害金が払えないこと、本件事故につき自動車損害賠償保険金が三〇万円出る予定であるから、これを賠償に充てて貰いたいことなどを告げ、訴外大垣らと労働者災害補償保険金として、右金三〇万円との差額約金六・七〇万円がすいに交付されるであろうから、すいは結局約金一〇〇万円を入手することが可能であることなどについて話合つたこと、すいとしては、損害賠償に関しては大垣に被控訴人との接渉を委ねていたが、右の約金一〇〇万円で家屋を建て、貸間でもして二人の遺児との生計に当てるつもりであつたこと、すいおよび大垣は被控訴人の学歴、職業等に信頼し、将来被控訴人がすいや二人の子供のめんどうをみてくれることを期待していたので、被控訴人から直接支払を受ける金員は金三〇万円とすることを了承したことおよび昭和三四年一月七日に作成された示談書は、被控訴人の本件事故に関する刑事責任を軽減するため、警察署に提出することを主たる目的として被控訴人がすいおよび大垣に署名押印させたもので、その際、被控訴人は、警察署に提出するためと自動車損害賠償保険金を受領するために必要であるとして署名押印を求めたものであることが認められる。原審および当審における被控訴人本人の尋問の結果中右の認定に反する部分は措信しがたく、他に右の認定を覆すに足る証拠はない。しかして、前記示談書(甲第六号証)の記載は、一見被控訴人に対するすいおよびその未成年の子らの損害賠償請求権中金三〇万円を超える部分は、同人らが放棄したかのように見えるけれども、右認定の事実に照すと、右の書面の作成は、右のような損害賠償請求権の放棄と解すべきではなく、被控訴人から直接すいおよびその子らに交付されるべき賠償金は三〇万円であることを明らかにしたものであるに過ぎないものというべきであり、他に被控訴人の主張のような示談の成立を認めるに足る証拠はない(原審および当審における被控訴人本人尋問の結果中右の趣旨に添う部分は措信できない)。なお、本件事故によりすいおよびその二児は一家の支柱を失うという窮状にあつたにもかかわらず、支給されることの確実な労働者災害補償保険金に相当する損害賠償請求権まで放棄する意思があつたとはとうてい考えられず、一方、もし被控訴人の負担すべき損害賠償が自動車損害賠償保険金三〇万円に限られるものとすると、被控訴人は本件事故につき実質上なんら自らの負担において被害者およびその家族にその損害を賠償しない結果となる(同保険の契約者は本件自動車の所有者である第三者であつたと推認される)ものであつて、そのような被控訴人にのみ好都合な示談が成立したと解するのを相当とする特別の事情の存在は認められない。よつて、被控訴人の示談成立の前記抗弁も採用できない。

四、最後に、控訴人の損害賠償謂求権の代位取得について判断する。成立に争いのない甲第七号証の一の一、三、四、同号証の二の一ないし三、同第八号証の一、二によれば、控訴人は、順康の本件事故による死亡をその業務上の事由によるものと認め、労働者災害補償保険法第一二条および第一五条により、同人の遣族であり、その葬祭を行つた同人の妻すいに遺族補償費として金六六万一、六〇〇円、葬祭料として金五七、六九六円(平均賃金の六〇日分)を昭和三四年四月六日に、療養補償費として看護費金一、一八〇円を同月八日に、同じく診療費として金四、三七五円を同月三〇日にそれぞれ支払つたことが認められる。よつて、控訴人は、同法第二〇条第一項により、右の保険給付をした日に同給付の額を限度として、受給者すいの被控訴人に対する損害賠償請求権を取得したものと認められる。しかして、すいは、右の保険給付がなされた当時被控訴人に対して前記のとおり金七六万二、二四七円の損害賠償請求権を有していたものであるから、被控訴人は控訴人に対して、右保険給付額に相当する七二万四、八五一円および右金員のうち七一万九、二九六円(遺族補償費および葬祭料の合計額)につきその支払のなされた日の翌日である昭和三四年四月七日から、一、一八〇円(看護費)につき同じく同月九日から四、三七五円(診療費)につき同じく同年五月一日からそれぞれ完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務を有するに至つたものである。なお、すいが相続人である子二人の代理人兼相続人として被控訴人から金三〇万円を受領したことは、前に認定したとおりである。してみれば、すいが被控訴人に対して取得した損害賠償請求権は、金三〇万円のうち、少くともその三分の一に当る金一〇万円の限度で消滅し、前判示の金七六万二、二四七円から金一〇万円を差し引いた金六六万二、二四七円となり、被控訴人が代償として被控訴人に対し取得すべき債権もその限度であるかのように思われないでもない。しかし、みぎ金三〇万円の支払われたのは、控訴人がすいに遺族補償費等の労災保険給付をした日より後である同年五月二七日であることは、被控訴人の主張するところである。また、一般に不法行為にあつては、不法行為者は、財産以外の損害についてもいわゆる慰藉料支払の義務があるところ、被控訴人がすいに対して支払つた金三〇万円出金の趣旨が「死亡に対する償金」であることは、前説明のとおりであり、それがすいらの取得すべき財権権上または非財産権上の損害のいずれに対してなされたものであるかは、被控訴人においてこれを明らかにしない。従つて、結局控訴人は、そのすいに支払つた金額七二万四、八五一円の全額につき被控訴人に支払を求めることができるものと認めざるを得えない。

よつて、右金員の支払を求める控訴人の請求は正当として認容すべきであり、右請求を棄却した原判決は取り消すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を仮執行の宣言につき同法第一九六条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 中西彦二郎 西川美数 外山四郎)

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